

東京大学法学部に入学 |
首尾よく東大法学部に入学した。
溝手は生来のスポーツ好き。
またまたスポーツ好きの虫が目を覚ました。
「よし弱いアメフト部をオレが強くするぞ!」
とアメリカンフットボール部に入部。
中世ヨーロッパの剣士を思わせる、ヘルメット。
肩には鎧のようなショルダーパットに身を固めた独特のスタイル。
一瞬のスピードと全身で力いっぱいぶつかり合い、勝負を賭ける姿にも憧れた。


前列右の背番号81がみぞて |
当時の東大は2部リーグに低迷、1部昇格は“夢のまた夢”といわれていた。
そんなアメフトに飛び込んだ溝手だが、3年生のとき2部で優勝し、1部リーグとの入れ替え戦に敗れた。
4年生になり主将になった。
「なにが、なんでも優勝して1部リーグ入りしよう」
を合言葉に部員を引っ張り、連日駒場練習場でボールを追った。
その甲斐あって全勝し入れ替え戦で防衛大に完勝した。
そして念願の1部リーグ入りを果たした。
それは昭和34年に東大アメフトが誕生して以来、悲願の達成だった。
そのときの喜びを思い起こし溝手は
「オレの在学中に1部リーグ入りするぞという目標を心に持っていた。人生も目標に向かい努力、突進あるのみだ」と悟ったという。

前列右から2番目がみぞて |

念願の1部リーグ入りを果たす |
|


新入社員のみぞて青年 |
昭和41年。
東京大学を卒業し、新日鉄(旧富士製鉄)に入社した。
配属は、姫路の広畑製鉄所だった。
アメフト部がないため、今度はラグビー部に入部する。
ここでもスポーツと縁は切れず毎日ラグビーに興じた。
スポーツ好きの溝手だが、現場の仲間と居酒屋で盃を酌み交わし語らう。
そのひとときは楽しく、有意義で、多くの先輩から諸々の人生路のあり方を学んだという。
3年間の現場経験を積み東京本社へ。
この間、富士製鉄と八幡製鉄が合併し新日鉄となった。

今度はラグビー |

夕日に向かって走れ!
|

職場の仲間達と(後列右端) |

泥だらけ…(後列中央) |

会社の同僚と |
|


美重子夫人との新婚時代 |
また入社4年目の昭和44年3月、美重子さんと大恋愛の末ゴールインした。
当時のロマンスを美重子夫人が語る。
「今は互いに太ってしまいましたが(笑)、当時の夫は俳優の渡哲也さんを彷彿とさせる男前でした。(惚)
私は芦屋、彼は明石に住んでいたのでなかなか会えません。
デートがどれほど楽しみだったか…。(遠い目)」
二人の仲むつまじさは、何十年経った今も変わらない。
夫人をことのほか大切にする溝手の愛妻家ぶりは有名だ。
長年支え合い、互いを愛おしみ、豊かに年を重ねている理想の夫婦像がここにある。
会社経営者時代につづく
|
|